1967-04-20 第55回国会 衆議院 石炭対策特別委員会 第4号
幸いに、私昨日速記録を拝見いたしましたところ、四月六日衆議院の予算委員会で、社会党の石川次夫委員の質問に対し、通産大臣は、同じような質問の趣旨でありますが、こう答えているわけです。
幸いに、私昨日速記録を拝見いたしましたところ、四月六日衆議院の予算委員会で、社会党の石川次夫委員の質問に対し、通産大臣は、同じような質問の趣旨でありますが、こう答えているわけです。
この間の委員会で石川次夫委員から、先般日米研究協力専門家会議というものが開催されたが、その出席者については非常な限定があったということについて御質問がありました。きょう「原子力委員会月報」を拝見いたしますと、日本側参加者の名簿というものが出ております。この中には古河、日立、三菱、住友、東京芝浦等、いわば民間における原子力産業部門の代表の諸君が参加しておる。
○岡委員 いまいただいた「原子力委員会月報」をちょっと拝見いたしますると、この前の委員会で石川次夫委員が申しておったことがここに出ておるわけです。要するに、日米間における原子力平和利用の協定に基づいて専門家会議が開かれた。これは五月十三日から二日間行なわれた。
調査委員は、私のほか農林委員会からは松浦周太郎委員長、松岡嘉兵衛委員、神田大作委員、建設委員会からは佐藤虎次郎委員、石川次夫委員、社会労働委員会からは伊藤よし子委員、現地参加として山田彌一委員、久保田豊委員の九名であります。 戦後最大といわれる台風二十二号は、去る九月二十六日伊豆半島をかすめ、江ノ島から関東地方に上上陸したのであります。
参加された委員は農林水産委員会からは松浦委員長と神田大作委員と私の三名、建設委員会からは佐藤虎次郎委員と石川次夫委員の二名、社会労働委員会からは伊藤よし千委員、文教委員会からは鈴木正吾委員、現地参加として山田彌一委員と久保田豊委員で、総員九名であります。 戦後最大といわれる台風第二十二号は、去る九月二十六日伊豆半島をかすめ江の島から関東地方に上陸したのであります。